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自分自身が尊敬できな...

自分自身が尊敬できない自分自身を他人に尊敬してもらおうと思うのが間違っている。

また、相手からの発話や仕草から自分への評価を読みすぎ。

そもそもヒトのコミュニケーションが上辺でしかないことは、自分が上辺だけのコミュニケーションをしていてわかるはず。

そもそもヒトとヒトがそんな通じ合える次元で相手と接するという妄想を捨てないと。

目を覚ませ。
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by nn_77 | 2018-06-27 13:19 | Comments(0)
つまるところ、自分は幼稚だったのかもしれない。

人を護りたいと本当に思えるのが大人の親心。
子供を護っていて、子供から好かれたい、歓心を得たいとはあまり思わない。子供のためだけを純粋に考えて教育しているから。

親から好かれたい、褒めてもらいたいと思うのが護られている子供のキモチ。それはそれで自然なココロ。

ただし子供の幼稚な気持ちをぶつける対象にしていいヒトは、親をはじめとする限られた人だけだ。なぜなら、子供のそうした気持ちは、社会の中では、やや、我儘だから。
家族など、そのヒトを受け入れてあげられる身近な存在でないと、なかなか受け入れられない。赤ちゃんや老人のオムツを替えるのと同じかな。自分の子供、自分の親だからできる。

翻って、会社で(心の奥底で)自己承認欲求を周りにぶつけている自分は、幼稚なんだと思う。本当に部下や後輩を親心で愛していれば、きっと、そうはならない。
自分が好かれたい、愛されたいと思ってしまうから、辛くなる。

実際に好かれているかどうかとは、別次元の話だ。
たまたま好かれている場合もあると思うし、上司としてはそうあったほうがいい面もある。
しかし、それを自分から本気で求めてはいけない。

強くなれ、自分。

過去に君が敬愛し、尊敬した先輩たちは、君に好かれたいとは思わなかった、と思うだろう?

上司として、先輩として業務する上で、着飾る必要はなく、無理に良いカッコするな、という話もあるが、それは服を着ずに裸で凍えていればいいということではない。誰かに毛布をかけてもらう同情を求める弱い人間でいいということではない。

質素でも(=完璧でなかったり、カッコよくなくても)、服を着て、通りを歩くんだ。

愛されたいと思うな。
愛そうとしろ。

死ぬまでに、できるだけ多くのヒトを愛して、生かそう/生かそう。親が子を護るように。見返りを求めず。

自分は子供(上司、部下、後輩)を護れる強い親でいられるように、謙虚に学び続け、丁寧に生きていこう。

それくらいなら、意識すれば、きっと、できる。








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by nn_77 | 2018-06-25 00:38 | Comments(0)

もっと謙虚に

いろいろ書いてきたけれど、問題の原因は、自分の心の対象を、人との接し方、ヒトの導き方に重きを置きすぎて来たことのあるのかもしれない。

管理職としてのチームの運営や部下の育成、指導などについて考えすぎた結果、思考回路がおかしくなっていたのかな、とも思う。

もう少しヒトではなく業務に着目し、集中し、これを謙虚に処理していくことにフォーカスするといいのかも。

また、そうして業務に取り組むに当たり、多少の工夫はしつつも、あまり大げさに業務改革、組織改編といった軸で考えたりせず、もう少し淡々とこなしてみよう。
仕事に対して大きなロマンを持ちすぎて、その目線についてきてくれないヒトとの価値観のギャップに悩んでいたのが実際のところなのかもしれない。

チーム運営や部下の指導、育成もそんなに大袈裟に捉えすぎず、もっと、サラッとしてもいいのかも。

大袈裟にビジョンとロマンを持って仕事にあたっても、結局自分の実力が伴わないと、自分の心も折れるし、周りも振り回されるし、良くない。

また、そういう大局に導こうとする自分の上から目線での発想が、仕事そのものやヒトに対して謙虚に接する機会すら奪ってきたのかもしれない。

いきなり上から目線、評価目線で仕事やヒトに触れずに、もっと素直に対象業務に触れ、物事を常に新人の如く学び、自分の実力を謙虚に上げていこう。
多分、ヒト様に伝えたり、教えたりしようなんて思っていたのが、既に高慢な驕った僕の姿勢だったんだと思う。

自分が年上だとか、経験者だとか、、尊重される立場のはずだとか、そういった驕った自己認識が、結果的に誤った承認欲求を他者に求めることにつながっていたんだろう。

一介の新人の気持ちに戻って、ヒトにも仕事にも接し、常に自分が教えてもらう側に回ろう。そして謙虚に仕事にも取り組もう。そうすれば、今の自己嫌悪する自分と別れられるかもしれない。

まだ、間に合うかな?


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by nn_77 | 2018-06-22 05:51 | Comments(0)
ヒトからの承認欲求に依存しがちな僕だけれど、よく考えると、誰に対してもそれを求めているのではないようだ。

自分が認める人や尊敬する人、好きな人に対してのみそれを求めているようだ。(みんなそうなのかな)

自分と価値観やベクトルが同じ人、あるいは自分はまだたどり着けていないけれど、いつかはそうなりたい、と理想に思えるような人に対しては、自分を認めてほしい、自分に好意を持ってほしいという欲求が強いように思う。

だから、そんな人から怒られても傷つくし、スルーされても傷つくんだと思う。他方で、自分がそう思ってない人から怒られても、スルーされても全く気にならない。

ということは、自分が認める人や尊敬する人、好きな人に対して、自分を受け入れてほしいという思いが強すぎるのかもしれない。
自分が好きな人であっても、その他者を独立した他者として認めて、自分の価値観の呪縛に従属させようとしないことが必要なのかも。

あと、そんな人から怒られたり、スルーされたりすることが続いたとき、そんな人に対して固執しすぎず、それが本当に自分の認める・尊敬する好きな人なのかどうかを疑ってみてもいいと思う。そんなすれ違いが起きることが続くのであれば、冷静に見れば、その人は自分の価値観に照らしてみたときに、自分が本当に好きな人なのではないかもしれない。にもかかわらず、盲目的にその人を尊敬する・好きな人だと思い込んでいるから、怒られる、あるいはスルーされるような状況に陥った際に、辛く感じるのかも。

ここでもずっと書いてきた自己肯定感が低いこととも関係はしていると思う。
自信があまりにないので、自分の尊敬する人・好きな人からの自分に対する評価を鏡として使わないと自分の姿が見えない為、そんな魔法の鏡から怒られたり、スルーされたりすると傷つくんだろう。

僕の場合は、自分の尊敬する人・好きな人に対して、少なくとも心の中では、もっと上から目線で見ていいんだと思う。
それくらい自信を持て、ということ。そうじゃないと、自分の尊敬する人・好きな人に対して承認欲求を押しつけてしまい、それが得られず勝手に傷つき、人間関係を破たんさせてしまう。逆説的ではあるが、自分の尊敬する人・好きな人に対して、下から見上げ追い求めるのではなく、上から見下ろして評価しようとするくらいで、僕の場合はちょうどいいんじゃないかと。そうすることで、自分の承認欲求を一方的に押し付けることなく、自分の尊敬する人・好きな人に対して、心理的に対等に対峙できると思う。

自分の尊敬する人・好きな人を上から目線で見るというのには、もう一つの目的もある。
僕の場合は前述の通りなので、いったんその人を尊敬し・好きになると、その人から盲目的に承認を得ようと固執してしまうわけだけれど、それが得られない場合、そもそもその人を尊敬し・好きになったこと自体、判断ミスだった可能性もある(だから実は合わないので承認欲求が満たされない)。
にもかかわらず、すでに盲目的にその人を尊敬し・好きになってしまったことで、自己肯定感が低い僕はもはや引き返せず、ひたすらその合わない人から認めてもらおうと努力をして、当然に報われない結果に終わってしまっていることもあるんだと思う。

人の心の中は永遠にわからないし、人も変わる。
自分の価値観や理想を投影して、尊敬し・好きになれる人って、本当はほとんどありえないんだと思う。

だからそれが家族でも、会社の上のヒトや下のヒトでも、僕の場合は常に上から見て(それでようやく自分の心を相手と対等に引き上げられる)、相手の心を冷静に見つめる努力をしないといけないんだと思う。それは自分を認めてもらうためではない。残念ながら多くの場合、相手は自分が依存したいほど尊敬し・好きになれる人ではないはず、どこか違うはずなので、そこを冷静に見つけて、ほらやっぱり、と思えたらしめたもの。そうすることで、相手に対する承認欲求に依存せず、結果、相手を自分の価値観の呪縛に従属させようとする欲もでず、そのことにより、相手を(尊敬ではなく)尊重し、お互いに人として独立・自立した関係である前提で、人間関係を構築していけるんだと思う。

さらに言えば、そうやって上から目線で人をみた上で、相手の人間性を認めた上で、その人を好きになれるように工夫する努力をすると、人間関係を面白くできるんだと思う。下から見上げる目線で尊敬し・好きになってしまって精神的に依存してしまうと、実はその人を尊重して好きになっているのではなく、その「好き」は、むしろ「自分のことを同じくらい好きになって」というのが本音であり、相手の人間性を実は無視している。

僕の場合は、尊敬している人・好きな人を上から目線で見直して、おそらく自分が尊敬・好意で没頭・固執してしまうほど好きな人では本当はなかったんだということに自分を気づかせて、その結果、そんな人に対する承認欲求への固執から自分を解放し、そうやって相手を自己承認の道具ではなく、尊重すべき他人・ヒトとして認めた上で、その人の個性・考え・価値観を観察し、どうやったら喜ばせてあげられるんだろう、と考えればいいんだと思う。その段階での「喜ばせてあげたい」という心理の中には、もう、「自分のことを同じくらい好きになって」という打算や下心はない。だってその人はもう、自分が「好き」な人ではないので。単純に、他人・ヒトとしてそこにいて、その人にはその人の価値観や好き嫌いがあり、そんな人と同じコミュニティーにいる自分として、どうせなら幸せにしてあげられれば、と純粋に思って、無理のない範囲で努力すればいいんだと思う。

このやり方だと、自己肯定感の無さと理不尽な承認欲求とその未充足から自分を変に傷つることもなく、また、それにより相手に負担もかけず、お互いフェアにやっていけると思う。

うん、なんだかこれでいけそうな気がする。

でも、会社に行くと、また、いろいろあって、あぁぁ、と思ったりして戻ることが多いので、まだ安心はできない。

会社で検証してみるまでは。。。

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by nn_77 | 2018-06-20 06:17 | Comments(0)

脱却しよ〜

そう思ってから会社で毎日、試行錯誤中。

少しだけ心が軽くなった場面もあるけれど、まだまだ正常化には程遠い。

鬱だといってしまう勇気もないし、多分、これでもまだまだ自分との対話を通じて自分を導いて活けると思うので、まだ頑張ります。

今日一日の自分が部下に送ったメールや自分の言動を振り返ると、まだまだ、かまってちゃんが抜けてない。反省。

嫌すぎる、この自分の甘えん坊根性。

ヒトを見よう。

自分を護るのをやめよう

お前(=私)は、もう、失うものは何もないはず。

只々、周り(=もちろん、含「お客様」)の幸せの実現に奔走しよう。

己の自尊心は最後の最後の最後の後回しにせねば。

周りのヒト(含、お客様、自分の家族)が幸せだったらいいじゃないか。

というか、それが全てじゃないか。

どうして自己承認欲求をそこに求める必要があるか。
いや、ない。

落ち着け。

冷静に誰かに貢献しよう。

それが私のささやかな望みのはず。

見栄のない、素直な正しい生き方をしよう。

僕はそれのみに生かされているはず。。。
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by nn_77 | 2018-06-19 20:58 | Comments(0)

はじめの一歩

昨日から少しだけ素直になってみた。

普段からしてないことは簡単にはできないわけで、「少ししか」できなかったというのが実態。

いざそうしようとすると難しいという今の実態に、過去10年間、そうして振る舞う事をサボってしまったんだなぁと思った。

一気にそれを取り戻すのは無理だろうけど、諦めずに続けてみよう。



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by nn_77 | 2018-06-19 08:55 | Comments(0)

素直になる勇気をを

素直になれば楽になるんじゃないか、という気付きがつい先日のことだった。

人に好かれたいと思うなら、好かれるような振る舞いをすればいい。

そこで講師面することで尊敬を得ようとしたり、無理に面白い話をしようとしたり、そうした複雑な(素直じゃない)やり方をしようとするから、相手の反応も含めてその当たりハズレに苦しみ、反省ばかりしてしまうんじゃないかな。

そうした複雑なやり方に頼ってきた大きな理由の一つは自分自身に対する自信のなさ、自己肯定感の低さだと思う。

自分が素で人と接することを自分で肯定する勇気がないから、すご~く回りくどい段取りや仕掛けが必要だったんだろう。

また、皮肉なことに、そうした仕掛けをする労力や手間はそれなりに完成度を高めているので(←それだけ自分に対する自信がないということなのだけれど)、なまじ表面的には評価される(否定されにくい)ので、これまで、ギリギリのバランスで、なんとかこの綱渡りをしてこれたんだと思う。

でも、最近数ヶ月の心の疲弊は、このやり方に限界が来ているせいだと思う。
仕掛けのネタはだんだん複雑になるし、自分の社内の立場も変わる中で、仕掛けのネタだけで人を惹こうとすることに、自分の中で限界が出てきたんじゃないかな。

もっと素直に等身大の自分をまずは自分で認めて、恐れずに凡人になって、フツーに人と接して、相手を素直に認めて、もっと楽天的に、バカになって、アハハ、と楽しくやってみよう。

怖いけどね。。。はぁ?みたいに思われないか。素で接して拒絶されたら。。。

でも、仕方ないよ。理想の自分に固執しても。

自分のレベルを常に意識して向上させていくことは大切。
でもそれは、今の自分がそうではないことを素直に認めるところからでなければ始まらない。

俺はこんな風に魅せられるはずだという理想の自分と現実の自分の差異から目を背けずに、認識するところから始めよう。

うん、そうしよう。やってみよう!





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by nn_77 | 2018-06-17 13:44 | Comments(0)

心を強くしないと損!!

心を強くしないと損。

精神的な甘え、弱さは社会的にも経済的にもデメリットが大きすぎる。

僕の場合は、ちょっとしたギアのかけ方、心の持ち方次第で強さを変えられるはずなのだから、メンテして強さを保つべき。

この数ヶ月はかなりエンスト状態が続いている。
お酒へのだらしない逃避や承認欲求への依存など、数年ぶりに、半端ない状況が続いている。

自己分析や自己との対話をこうしてできない性格だったら、鬱というカテゴリーに安易に振り分けられてたかもしれない。

でも、身体の病気や怪我と違って、心の問題は、しっかり論理的に自分と向き合うことを逃げなければ、自分である程度の回復をすることができると思う。

こうして記事を打っている今も胸が苦しく、悩みが晴れないのは事実。

でも、それを周りに嘆いてなんになるというのか?
同情を得ようとしても、そんな相手の反応に依存する自分を逆にまた苦しめるだけだ。

他人のアドバイスからヒントが得られることはあるかもしれないが、自分の気持ちを直接覗いて観察し、責任を持って対応ができるのは自分自身のみ。

その責任を放棄したくなったとき、人は、心の病院にお世話になったり、自ら命を断ったりするのではないかと思うけれど、そうする前に、もっと「自分で」できることを頑張ってみるのも悪くないと思う。

人それぞれ、事情と状況は違うので一概には言えないだろうけれど、僕は、僕自身に負けないようにもっと闘っていこうと思う。

そう、僕の悩みは、表面的には周りとの人との接し方や、相手によく思われたいのにうまくいかないという個々の事象の積み重ねだけれど、問題なのは僕の周りの人たちではなく、その事象に対して素直じゃない解釈(c.f. 昨日の記事)を持ち出す僕自身の精神構造なんだと思う。

僕自身のこの部分になにかの処置を施す必要があるのであって、だからこそ、そんな自分自身との闘いから逃げずに、自分のメンタルビヘイビアーの改革の実現に挑戦していきたいと思う。

今後、死ぬまで一生、他の誰よりも長く身近に一緒に生きて行く自分自身なのだから、僕自身が諦めずに治してやらないとね。

それに、闘う対象が自分自身ということがわかると、周囲に対して「どうして解ってくれないんだ」と思う気持ちがなくなるので、気分も少し楽になる気がする。

さて、もう少し、粘って頑張ります。



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by nn_77 | 2018-06-16 21:00 | Comments(0)

トレーニング始めよう

まだまだ、サクッと治らない自分のメンタル構造。

過去何十年も身に着けてきた思考回路は簡単には変わらない。

いつも、ブログの記事は事前に構成など考えずに思いついたまま、発送を紙に落とすつもりで書いている(今のこれもそう)

昨日の記事を書いていて出てきた、誤った自己像、という考えは我ながら悪くないと思った。

自分を解ってくれと訴えても、自分の自己認識が正しくないから、いつまでもギャップにフラストレーションを感じるんだと思う。

今、改めて自分を見つめ直して見ると、、、

自分の問題の一つは、素直じゃないことだな、と思った。

  これは結構、僕という人間の問題の本質にあたるのかもしれない。自信がないから、自己評価が低いから、思考形成は様々な角度から幾重にも織りなす。昔、ESSでディベート競技に明け暮れた時期があったけれど、常に肯定側と否定側の両方の立場で意見を作っていくあのディベートは、自分の精神構造に自然と合致したんだと思う。

  しかし、これまでずっとそうした思考回路できた僕は、引き換えに素直さを失ってきたんだと思う。誰に対しても、自分自身に対しても手放しでイイねで終わらない。

  そんなのって、ヒトを疲弊させるし、面倒くさいやつですよね。自分が自分自身にすら疲弊していたから、独りで飲みに行って、更にクヨクヨしてたんだと思う。

   そんな日がいつまでもいつまでも続いた。原因を把握し、問題解決のアクションを取れていないのだから、当然の帰結だ。

   では、どうしたらいいか?

   もっともっと、素直にシンプルに感じて、考えて、やたら分析したり、逆の観点で見たりなんてしないで生きていくようにしてみよう。

   そして、その為の、具体的な訓練をしていこう。

    いつも講師キャラでやってきた(c.f. 前々回の記事)僕は、ヒトの話に共感してそこから学ぼうとする行動に恐ろしく乏しかったんだと思う。

   具体的に行動を変えていくために、ヒトの話には笑顔と好奇心で聴く姿勢を示し、相づちをうまくうち、しっかりうなずき、へーそうなんだ、えっ、本当に?なんていうリアクションをしっかりしていく「訓練」を日々の会社や家でのコミュニケーションに取り入れようと思う。

   思えば、そういうことをわざとしていたのは、営業の商談時や一部の目上の人との会話だけだったかもしれない。

   家族や会社の身近な人たちとのコミュニケーションにおいてはそんな努力を怠ってきた気がする。。。反省。

   残された人生の時間はもう折返し地点を過ぎたけれど、今からでも自分の人間性を意識的に良くしていく努力をやってみよう。



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by nn_77 | 2018-06-15 15:11 | Comments(0)

Unplugged

いくつかの心の課題の中のひとつが、相手からの評価に依存しすぎることだ。

上司面を止めよう、という昨日の投稿も、結局は部下がどう思うかを考えているようで、結局は、部下にどう思われたいか、という発想なんだと思う。
まだまだ自分勝手だ。

自分を苦しめているのは自分の身勝手な不安解消欲求だと、よく理解しているのに、出口戦略が見つけられていない。

引き続きいろいろ試して試行錯誤していこう。

以下は、その案。

1. 相手に声をかけられるのを待つのではなく、相手の反応を恐れず声をかけよう。

      声をかけてつれなくされるのは傷つくもの。だからといって声がかかるのを待っていては、受け身すぎて、それはそれで不安が募るばかり。

      タイミング悪くて素っ気なくされるのは日々のコミュニケーションや人間関係で当たり前のこと、と思おう。


2. 相手を好きになって、見返りを求めずに接しよう

        相手に好かれたければ、嫌われるのを恐れずに自分から相手を好きになろう。
        Give and take、まずは自分がリスクをとって相手を好きにならないと。
 
        Give and takeだったら見返り求めてそうだけど(笑)


3. 自分の自己評価を相手に押し付けるのをやめて、相手の自分に対する評価を受け入れよう

         ここは重要。

         嫌われたくない、相手の評価に依存するマインドは相手に肯定されたいなにがしかの自己像が前提になってると思う。

         その自己像自体が妄想と知るべし。

        自分の声の録音を聴いたら恥ずかしいのと同じ。自分って、それほど、自分で思っているようなカッコイイ奴じゃないわけだ。

        だったらまずは自分がどんな人間なのかを周囲から教えてもらって知らないといけない。それが見つめるべき自己像なのだから。

        人に自分のことを教えてもらうって、人からの自分に対する評価に依存するのと同じ、って思いがちだけど実は大きく違うと思う。

        前述の通り、人からの評価に依存して傷ついて孤独になっている場合、実は人に聴く以前に自分の中に理想の自分像がすでにある。それと実際の周囲の反応とのギャップを恐れたり、それに苦しんだり、を、勝手にしているのだ。恐ろしい妄想の虜だ。薬物中毒と同じかも。合法な、酒、というクスリで妄想による不安から逃避しようとしていないか? 逃避が良くないのに、さらに逃げる対象が妄想となったらもう、救いようがない(笑)

        妄想から脱却するためにも、勇気を持って人に当たり、たとえ傷ついても、真実に触れて行かないと。

        白雪姫の悪い女王の鏡のように、自分を美しいと歪曲して伝える鏡の虜になっていてはいけないんだ。

        人と心から接して、勝手な自己像を押し付けずに、謙虚に人から自分を教えてもらうところからはじめたらいい。思い通りの反応が無くて辛くても、そこから謙虚に学ぶんだ。傷ついてナンボ、と思おう。


4. 人に教えを押し売りせず、人から学ぼう

         多分僕は、前述のビヘイビアがあるがゆえに、教えキャラで生きてきたんだと思う。人に知識を伝えると、評価してもらえるかな、尊敬してもらえるかな、 受け入れてもらえるかな、好かれるかな、って。

         でも、それもきっと妄想だったんだと思う。

         知識の押し売りほどウザいものはない。

         自分も他人のそれを見て嫌ほどそう感じてきたはずなのに、自分のことは見えてなかったんだ。
         
         恥ずかしい。

         人に教えるのをやめてみよう。

         ゴルフのスイング矯正のように最初は極端でもいいくらいだと思うので、聞かれても、知らないごめんというようにするくらいで丁度いいかも。今の自分は何でも答えようと必死になり過ぎだ。答えられなくて、ヒトが去っていくのが怖いんだね。寂しいんだね。
         
        でもまずは、答えられない自分を受け入れよう。それで本当に相手が去るのかどうかも妄想ではなく現実に確認しよう。去ることも多々あるだろうし傷つくだろう。
       
       でも、そうやって、どうせ傷つくなら、妄想ではなく事実に基づいて傷つこう。普通の鏡を見ないと。


上記4点を振り返ると、新入社員に戻ろうということだと思う。

もともと僕は小さな子供の頃から前述のような人間だったのが、社会人になってもそれが変わらず、また、なまじ、ある種のキャリアを積んだので、それを教える、押し売りする材料に使いながら、麻薬のように自分の自己像の妄想を心の中に造って来たんだろうなぁ。

映画のマトリックスの首の後ろのプラグが、今、抜けたのかもしれない(笑)

怖いけど、今日から、素直に外の世界とそこにいる人に
きちんと触れて、交わって、生きていこう。

     
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by nn_77 | 2018-06-14 06:01 | 生き方 | Comments(0)