蜃気楼

自分を許してほしいと請う生き方は、自分を許してくれるヒトが世の中にいるという妄想。

砂漠の中でオアシスの蜃気楼を見て彷徨い野垂れ死にする旅人に等しい。

人間もまた動物であり、他人を許して受け入れる為に生きているのではなく、皆、自分が生きる為に生きている。その為の手段として時には相手を受容する場面もあるだけで、その受容は、皆、あくまでも自分が生きる為にしているだけ。

正しい生き方は、他人に受容/許容を求めずに、
甘えずに、依存せずに自分で自立できる生き方。

もし周囲がお前に求めていることがそれでも何かあるとすれば。その正しい自立した
生き方で歩むことくらいだ。

失敗を認めて相手に詫びるのも、許しを乞うて自分に対する受容を求める為ではなく、相手に自分の現状認識を理解させて、次のステージに相手を持っていく(という自分の自立した歩みの)為の戦術でなければならない。

むしろそれが、自分勝手ではない、詫びる相手への本当の誠意だ。

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# by nn_77 | 2018-07-04 06:33 | Comments(0)

自分自身が尊敬できな...

自分自身が尊敬できない自分自身を他人に尊敬してもらおうと思うのが間違っている。

また、相手からの発話や仕草から自分への評価を読みすぎ。

そもそもヒトのコミュニケーションが上辺でしかないことは、自分が上辺だけのコミュニケーションをしていてわかるはず。

そもそもヒトとヒトがそんな通じ合える次元で相手と接するという妄想を捨てないと。

目を覚ませ。
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# by nn_77 | 2018-06-27 13:19 | Comments(0)
つまるところ、自分は幼稚だったのかもしれない。

人を護りたいと本当に思えるのが大人の親心。
子供を護っていて、子供から好かれたい、歓心を得たいとはあまり思わない。子供のためだけを純粋に考えて教育しているから。

親から好かれたい、褒めてもらいたいと思うのが護られている子供のキモチ。それはそれで自然なココロ。

ただし子供の幼稚な気持ちをぶつける対象にしていいヒトは、親をはじめとする限られた人だけだ。なぜなら、子供のそうした気持ちは、社会の中では、やや、我儘だから。
家族など、そのヒトを受け入れてあげられる身近な存在でないと、なかなか受け入れられない。赤ちゃんや老人のオムツを替えるのと同じかな。自分の子供、自分の親だからできる。

翻って、会社で(心の奥底で)自己承認欲求を周りにぶつけている自分は、幼稚なんだと思う。本当に部下や後輩を親心で愛していれば、きっと、そうはならない。
自分が好かれたい、愛されたいと思ってしまうから、辛くなる。

実際に好かれているかどうかとは、別次元の話だ。
たまたま好かれている場合もあると思うし、上司としてはそうあったほうがいい面もある。
しかし、それを自分から本気で求めてはいけない。

強くなれ、自分。

過去に君が敬愛し、尊敬した先輩たちは、君に好かれたいとは思わなかった、と思うだろう?

上司として、先輩として業務する上で、着飾る必要はなく、無理に良いカッコするな、という話もあるが、それは服を着ずに裸で凍えていればいいということではない。誰かに毛布をかけてもらう同情を求める弱い人間でいいということではない。

質素でも(=完璧でなかったり、カッコよくなくても)、服を着て、通りを歩くんだ。

愛されたいと思うな。
愛そうとしろ。

死ぬまでに、できるだけ多くのヒトを愛して、生かそう/生かそう。親が子を護るように。見返りを求めず。

自分は子供(上司、部下、後輩)を護れる強い親でいられるように、謙虚に学び続け、丁寧に生きていこう。

それくらいなら、意識すれば、きっと、できる。








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# by nn_77 | 2018-06-25 00:38 | Comments(0)

もっと謙虚に

いろいろ書いてきたけれど、問題の原因は、自分の心の対象を、人との接し方、ヒトの導き方に重きを置きすぎて来たことのあるのかもしれない。

管理職としてのチームの運営や部下の育成、指導などについて考えすぎた結果、思考回路がおかしくなっていたのかな、とも思う。

もう少しヒトではなく業務に着目し、集中し、これを謙虚に処理していくことにフォーカスするといいのかも。

また、そうして業務に取り組むに当たり、多少の工夫はしつつも、あまり大げさに業務改革、組織改編といった軸で考えたりせず、もう少し淡々とこなしてみよう。
仕事に対して大きなロマンを持ちすぎて、その目線についてきてくれないヒトとの価値観のギャップに悩んでいたのが実際のところなのかもしれない。

チーム運営や部下の指導、育成もそんなに大袈裟に捉えすぎず、もっと、サラッとしてもいいのかも。

大袈裟にビジョンとロマンを持って仕事にあたっても、結局自分の実力が伴わないと、自分の心も折れるし、周りも振り回されるし、良くない。

また、そういう大局に導こうとする自分の上から目線での発想が、仕事そのものやヒトに対して謙虚に接する機会すら奪ってきたのかもしれない。

いきなり上から目線、評価目線で仕事やヒトに触れずに、もっと素直に対象業務に触れ、物事を常に新人の如く学び、自分の実力を謙虚に上げていこう。
多分、ヒト様に伝えたり、教えたりしようなんて思っていたのが、既に高慢な驕った僕の姿勢だったんだと思う。

自分が年上だとか、経験者だとか、、尊重される立場のはずだとか、そういった驕った自己認識が、結果的に誤った承認欲求を他者に求めることにつながっていたんだろう。

一介の新人の気持ちに戻って、ヒトにも仕事にも接し、常に自分が教えてもらう側に回ろう。そして謙虚に仕事にも取り組もう。そうすれば、今の自己嫌悪する自分と別れられるかもしれない。

まだ、間に合うかな?


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# by nn_77 | 2018-06-22 05:51 | Comments(0)
ヒトからの承認欲求に依存しがちな僕だけれど、よく考えると、誰に対してもそれを求めているのではないようだ。

自分が認める人や尊敬する人、好きな人に対してのみそれを求めているようだ。(みんなそうなのかな)

自分と価値観やベクトルが同じ人、あるいは自分はまだたどり着けていないけれど、いつかはそうなりたい、と理想に思えるような人に対しては、自分を認めてほしい、自分に好意を持ってほしいという欲求が強いように思う。

だから、そんな人から怒られても傷つくし、スルーされても傷つくんだと思う。他方で、自分がそう思ってない人から怒られても、スルーされても全く気にならない。

ということは、自分が認める人や尊敬する人、好きな人に対して、自分を受け入れてほしいという思いが強すぎるのかもしれない。
自分が好きな人であっても、その他者を独立した他者として認めて、自分の価値観の呪縛に従属させようとしないことが必要なのかも。

あと、そんな人から怒られたり、スルーされたりすることが続いたとき、そんな人に対して固執しすぎず、それが本当に自分の認める・尊敬する好きな人なのかどうかを疑ってみてもいいと思う。そんなすれ違いが起きることが続くのであれば、冷静に見れば、その人は自分の価値観に照らしてみたときに、自分が本当に好きな人なのではないかもしれない。にもかかわらず、盲目的にその人を尊敬する・好きな人だと思い込んでいるから、怒られる、あるいはスルーされるような状況に陥った際に、辛く感じるのかも。

ここでもずっと書いてきた自己肯定感が低いこととも関係はしていると思う。
自信があまりにないので、自分の尊敬する人・好きな人からの自分に対する評価を鏡として使わないと自分の姿が見えない為、そんな魔法の鏡から怒られたり、スルーされたりすると傷つくんだろう。

僕の場合は、自分の尊敬する人・好きな人に対して、少なくとも心の中では、もっと上から目線で見ていいんだと思う。
それくらい自信を持て、ということ。そうじゃないと、自分の尊敬する人・好きな人に対して承認欲求を押しつけてしまい、それが得られず勝手に傷つき、人間関係を破たんさせてしまう。逆説的ではあるが、自分の尊敬する人・好きな人に対して、下から見上げ追い求めるのではなく、上から見下ろして評価しようとするくらいで、僕の場合はちょうどいいんじゃないかと。そうすることで、自分の承認欲求を一方的に押し付けることなく、自分の尊敬する人・好きな人に対して、心理的に対等に対峙できると思う。

自分の尊敬する人・好きな人を上から目線で見るというのには、もう一つの目的もある。
僕の場合は前述の通りなので、いったんその人を尊敬し・好きになると、その人から盲目的に承認を得ようと固執してしまうわけだけれど、それが得られない場合、そもそもその人を尊敬し・好きになったこと自体、判断ミスだった可能性もある(だから実は合わないので承認欲求が満たされない)。
にもかかわらず、すでに盲目的にその人を尊敬し・好きになってしまったことで、自己肯定感が低い僕はもはや引き返せず、ひたすらその合わない人から認めてもらおうと努力をして、当然に報われない結果に終わってしまっていることもあるんだと思う。

人の心の中は永遠にわからないし、人も変わる。
自分の価値観や理想を投影して、尊敬し・好きになれる人って、本当はほとんどありえないんだと思う。

だからそれが家族でも、会社の上のヒトや下のヒトでも、僕の場合は常に上から見て(それでようやく自分の心を相手と対等に引き上げられる)、相手の心を冷静に見つめる努力をしないといけないんだと思う。それは自分を認めてもらうためではない。残念ながら多くの場合、相手は自分が依存したいほど尊敬し・好きになれる人ではないはず、どこか違うはずなので、そこを冷静に見つけて、ほらやっぱり、と思えたらしめたもの。そうすることで、相手に対する承認欲求に依存せず、結果、相手を自分の価値観の呪縛に従属させようとする欲もでず、そのことにより、相手を(尊敬ではなく)尊重し、お互いに人として独立・自立した関係である前提で、人間関係を構築していけるんだと思う。

さらに言えば、そうやって上から目線で人をみた上で、相手の人間性を認めた上で、その人を好きになれるように工夫する努力をすると、人間関係を面白くできるんだと思う。下から見上げる目線で尊敬し・好きになってしまって精神的に依存してしまうと、実はその人を尊重して好きになっているのではなく、その「好き」は、むしろ「自分のことを同じくらい好きになって」というのが本音であり、相手の人間性を実は無視している。

僕の場合は、尊敬している人・好きな人を上から目線で見直して、おそらく自分が尊敬・好意で没頭・固執してしまうほど好きな人では本当はなかったんだということに自分を気づかせて、その結果、そんな人に対する承認欲求への固執から自分を解放し、そうやって相手を自己承認の道具ではなく、尊重すべき他人・ヒトとして認めた上で、その人の個性・考え・価値観を観察し、どうやったら喜ばせてあげられるんだろう、と考えればいいんだと思う。その段階での「喜ばせてあげたい」という心理の中には、もう、「自分のことを同じくらい好きになって」という打算や下心はない。だってその人はもう、自分が「好き」な人ではないので。単純に、他人・ヒトとしてそこにいて、その人にはその人の価値観や好き嫌いがあり、そんな人と同じコミュニティーにいる自分として、どうせなら幸せにしてあげられれば、と純粋に思って、無理のない範囲で努力すればいいんだと思う。

このやり方だと、自己肯定感の無さと理不尽な承認欲求とその未充足から自分を変に傷つることもなく、また、それにより相手に負担もかけず、お互いフェアにやっていけると思う。

うん、なんだかこれでいけそうな気がする。

でも、会社に行くと、また、いろいろあって、あぁぁ、と思ったりして戻ることが多いので、まだ安心はできない。

会社で検証してみるまでは。。。

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# by nn_77 | 2018-06-20 06:17 | Comments(0)

脱却しよ〜

そう思ってから会社で毎日、試行錯誤中。

少しだけ心が軽くなった場面もあるけれど、まだまだ正常化には程遠い。

鬱だといってしまう勇気もないし、多分、これでもまだまだ自分との対話を通じて自分を導いて活けると思うので、まだ頑張ります。

今日一日の自分が部下に送ったメールや自分の言動を振り返ると、まだまだ、かまってちゃんが抜けてない。反省。

嫌すぎる、この自分の甘えん坊根性。

ヒトを見よう。

自分を護るのをやめよう

お前(=私)は、もう、失うものは何もないはず。

只々、周り(=もちろん、含「お客様」)の幸せの実現に奔走しよう。

己の自尊心は最後の最後の最後の後回しにせねば。

周りのヒト(含、お客様、自分の家族)が幸せだったらいいじゃないか。

というか、それが全てじゃないか。

どうして自己承認欲求をそこに求める必要があるか。
いや、ない。

落ち着け。

冷静に誰かに貢献しよう。

それが私のささやかな望みのはず。

見栄のない、素直な正しい生き方をしよう。

僕はそれのみに生かされているはず。。。
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# by nn_77 | 2018-06-19 20:58 | Comments(0)

はじめの一歩

昨日から少しだけ素直になってみた。

普段からしてないことは簡単にはできないわけで、「少ししか」できなかったというのが実態。

いざそうしようとすると難しいという今の実態に、過去10年間、そうして振る舞う事をサボってしまったんだなぁと思った。

一気にそれを取り戻すのは無理だろうけど、諦めずに続けてみよう。



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# by nn_77 | 2018-06-19 08:55 | Comments(0)

素直になる勇気をを

素直になれば楽になるんじゃないか、という気付きがつい先日のことだった。

人に好かれたいと思うなら、好かれるような振る舞いをすればいい。

そこで講師面することで尊敬を得ようとしたり、無理に面白い話をしようとしたり、そうした複雑な(素直じゃない)やり方をしようとするから、相手の反応も含めてその当たりハズレに苦しみ、反省ばかりしてしまうんじゃないかな。

そうした複雑なやり方に頼ってきた大きな理由の一つは自分自身に対する自信のなさ、自己肯定感の低さだと思う。

自分が素で人と接することを自分で肯定する勇気がないから、すご~く回りくどい段取りや仕掛けが必要だったんだろう。

また、皮肉なことに、そうした仕掛けをする労力や手間はそれなりに完成度を高めているので(←それだけ自分に対する自信がないということなのだけれど)、なまじ表面的には評価される(否定されにくい)ので、これまで、ギリギリのバランスで、なんとかこの綱渡りをしてこれたんだと思う。

でも、最近数ヶ月の心の疲弊は、このやり方に限界が来ているせいだと思う。
仕掛けのネタはだんだん複雑になるし、自分の社内の立場も変わる中で、仕掛けのネタだけで人を惹こうとすることに、自分の中で限界が出てきたんじゃないかな。

もっと素直に等身大の自分をまずは自分で認めて、恐れずに凡人になって、フツーに人と接して、相手を素直に認めて、もっと楽天的に、バカになって、アハハ、と楽しくやってみよう。

怖いけどね。。。はぁ?みたいに思われないか。素で接して拒絶されたら。。。

でも、仕方ないよ。理想の自分に固執しても。

自分のレベルを常に意識して向上させていくことは大切。
でもそれは、今の自分がそうではないことを素直に認めるところからでなければ始まらない。

俺はこんな風に魅せられるはずだという理想の自分と現実の自分の差異から目を背けずに、認識するところから始めよう。

うん、そうしよう。やってみよう!





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# by nn_77 | 2018-06-17 13:44 | Comments(0)

心を強くしないと損!!

心を強くしないと損。

精神的な甘え、弱さは社会的にも経済的にもデメリットが大きすぎる。

僕の場合は、ちょっとしたギアのかけ方、心の持ち方次第で強さを変えられるはずなのだから、メンテして強さを保つべき。

この数ヶ月はかなりエンスト状態が続いている。
お酒へのだらしない逃避や承認欲求への依存など、数年ぶりに、半端ない状況が続いている。

自己分析や自己との対話をこうしてできない性格だったら、鬱というカテゴリーに安易に振り分けられてたかもしれない。

でも、身体の病気や怪我と違って、心の問題は、しっかり論理的に自分と向き合うことを逃げなければ、自分である程度の回復をすることができると思う。

こうして記事を打っている今も胸が苦しく、悩みが晴れないのは事実。

でも、それを周りに嘆いてなんになるというのか?
同情を得ようとしても、そんな相手の反応に依存する自分を逆にまた苦しめるだけだ。

他人のアドバイスからヒントが得られることはあるかもしれないが、自分の気持ちを直接覗いて観察し、責任を持って対応ができるのは自分自身のみ。

その責任を放棄したくなったとき、人は、心の病院にお世話になったり、自ら命を断ったりするのではないかと思うけれど、そうする前に、もっと「自分で」できることを頑張ってみるのも悪くないと思う。

人それぞれ、事情と状況は違うので一概には言えないだろうけれど、僕は、僕自身に負けないようにもっと闘っていこうと思う。

そう、僕の悩みは、表面的には周りとの人との接し方や、相手によく思われたいのにうまくいかないという個々の事象の積み重ねだけれど、問題なのは僕の周りの人たちではなく、その事象に対して素直じゃない解釈(c.f. 昨日の記事)を持ち出す僕自身の精神構造なんだと思う。

僕自身のこの部分になにかの処置を施す必要があるのであって、だからこそ、そんな自分自身との闘いから逃げずに、自分のメンタルビヘイビアーの改革の実現に挑戦していきたいと思う。

今後、死ぬまで一生、他の誰よりも長く身近に一緒に生きて行く自分自身なのだから、僕自身が諦めずに治してやらないとね。

それに、闘う対象が自分自身ということがわかると、周囲に対して「どうして解ってくれないんだ」と思う気持ちがなくなるので、気分も少し楽になる気がする。

さて、もう少し、粘って頑張ります。



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# by nn_77 | 2018-06-16 21:00 | Comments(0)

トレーニング始めよう

まだまだ、サクッと治らない自分のメンタル構造。

過去何十年も身に着けてきた思考回路は簡単には変わらない。

いつも、ブログの記事は事前に構成など考えずに思いついたまま、発送を紙に落とすつもりで書いている(今のこれもそう)

昨日の記事を書いていて出てきた、誤った自己像、という考えは我ながら悪くないと思った。

自分を解ってくれと訴えても、自分の自己認識が正しくないから、いつまでもギャップにフラストレーションを感じるんだと思う。

今、改めて自分を見つめ直して見ると、、、

自分の問題の一つは、素直じゃないことだな、と思った。

  これは結構、僕という人間の問題の本質にあたるのかもしれない。自信がないから、自己評価が低いから、思考形成は様々な角度から幾重にも織りなす。昔、ESSでディベート競技に明け暮れた時期があったけれど、常に肯定側と否定側の両方の立場で意見を作っていくあのディベートは、自分の精神構造に自然と合致したんだと思う。

  しかし、これまでずっとそうした思考回路できた僕は、引き換えに素直さを失ってきたんだと思う。誰に対しても、自分自身に対しても手放しでイイねで終わらない。

  そんなのって、ヒトを疲弊させるし、面倒くさいやつですよね。自分が自分自身にすら疲弊していたから、独りで飲みに行って、更にクヨクヨしてたんだと思う。

   そんな日がいつまでもいつまでも続いた。原因を把握し、問題解決のアクションを取れていないのだから、当然の帰結だ。

   では、どうしたらいいか?

   もっともっと、素直にシンプルに感じて、考えて、やたら分析したり、逆の観点で見たりなんてしないで生きていくようにしてみよう。

   そして、その為の、具体的な訓練をしていこう。

    いつも講師キャラでやってきた(c.f. 前々回の記事)僕は、ヒトの話に共感してそこから学ぼうとする行動に恐ろしく乏しかったんだと思う。

   具体的に行動を変えていくために、ヒトの話には笑顔と好奇心で聴く姿勢を示し、相づちをうまくうち、しっかりうなずき、へーそうなんだ、えっ、本当に?なんていうリアクションをしっかりしていく「訓練」を日々の会社や家でのコミュニケーションに取り入れようと思う。

   思えば、そういうことをわざとしていたのは、営業の商談時や一部の目上の人との会話だけだったかもしれない。

   家族や会社の身近な人たちとのコミュニケーションにおいてはそんな努力を怠ってきた気がする。。。反省。

   残された人生の時間はもう折返し地点を過ぎたけれど、今からでも自分の人間性を意識的に良くしていく努力をやってみよう。



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# by nn_77 | 2018-06-15 15:11 | Comments(0)

Unplugged

いくつかの心の課題の中のひとつが、相手からの評価に依存しすぎることだ。

上司面を止めよう、という昨日の投稿も、結局は部下がどう思うかを考えているようで、結局は、部下にどう思われたいか、という発想なんだと思う。
まだまだ自分勝手だ。

自分を苦しめているのは自分の身勝手な不安解消欲求だと、よく理解しているのに、出口戦略が見つけられていない。

引き続きいろいろ試して試行錯誤していこう。

以下は、その案。

1. 相手に声をかけられるのを待つのではなく、相手の反応を恐れず声をかけよう。

      声をかけてつれなくされるのは傷つくもの。だからといって声がかかるのを待っていては、受け身すぎて、それはそれで不安が募るばかり。

      タイミング悪くて素っ気なくされるのは日々のコミュニケーションや人間関係で当たり前のこと、と思おう。


2. 相手を好きになって、見返りを求めずに接しよう

        相手に好かれたければ、嫌われるのを恐れずに自分から相手を好きになろう。
        Give and take、まずは自分がリスクをとって相手を好きにならないと。
 
        Give and takeだったら見返り求めてそうだけど(笑)


3. 自分の自己評価を相手に押し付けるのをやめて、相手の自分に対する評価を受け入れよう

         ここは重要。

         嫌われたくない、相手の評価に依存するマインドは相手に肯定されたいなにがしかの自己像が前提になってると思う。

         その自己像自体が妄想と知るべし。

        自分の声の録音を聴いたら恥ずかしいのと同じ。自分って、それほど、自分で思っているようなカッコイイ奴じゃないわけだ。

        だったらまずは自分がどんな人間なのかを周囲から教えてもらって知らないといけない。それが見つめるべき自己像なのだから。

        人に自分のことを教えてもらうって、人からの自分に対する評価に依存するのと同じ、って思いがちだけど実は大きく違うと思う。

        前述の通り、人からの評価に依存して傷ついて孤独になっている場合、実は人に聴く以前に自分の中に理想の自分像がすでにある。それと実際の周囲の反応とのギャップを恐れたり、それに苦しんだり、を、勝手にしているのだ。恐ろしい妄想の虜だ。薬物中毒と同じかも。合法な、酒、というクスリで妄想による不安から逃避しようとしていないか? 逃避が良くないのに、さらに逃げる対象が妄想となったらもう、救いようがない(笑)

        妄想から脱却するためにも、勇気を持って人に当たり、たとえ傷ついても、真実に触れて行かないと。

        白雪姫の悪い女王の鏡のように、自分を美しいと歪曲して伝える鏡の虜になっていてはいけないんだ。

        人と心から接して、勝手な自己像を押し付けずに、謙虚に人から自分を教えてもらうところからはじめたらいい。思い通りの反応が無くて辛くても、そこから謙虚に学ぶんだ。傷ついてナンボ、と思おう。


4. 人に教えを押し売りせず、人から学ぼう

         多分僕は、前述のビヘイビアがあるがゆえに、教えキャラで生きてきたんだと思う。人に知識を伝えると、評価してもらえるかな、尊敬してもらえるかな、 受け入れてもらえるかな、好かれるかな、って。

         でも、それもきっと妄想だったんだと思う。

         知識の押し売りほどウザいものはない。

         自分も他人のそれを見て嫌ほどそう感じてきたはずなのに、自分のことは見えてなかったんだ。
         
         恥ずかしい。

         人に教えるのをやめてみよう。

         ゴルフのスイング矯正のように最初は極端でもいいくらいだと思うので、聞かれても、知らないごめんというようにするくらいで丁度いいかも。今の自分は何でも答えようと必死になり過ぎだ。答えられなくて、ヒトが去っていくのが怖いんだね。寂しいんだね。
         
        でもまずは、答えられない自分を受け入れよう。それで本当に相手が去るのかどうかも妄想ではなく現実に確認しよう。去ることも多々あるだろうし傷つくだろう。
       
       でも、そうやって、どうせ傷つくなら、妄想ではなく事実に基づいて傷つこう。普通の鏡を見ないと。


上記4点を振り返ると、新入社員に戻ろうということだと思う。

もともと僕は小さな子供の頃から前述のような人間だったのが、社会人になってもそれが変わらず、また、なまじ、ある種のキャリアを積んだので、それを教える、押し売りする材料に使いながら、麻薬のように自分の自己像の妄想を心の中に造って来たんだろうなぁ。

映画のマトリックスの首の後ろのプラグが、今、抜けたのかもしれない(笑)

怖いけど、今日から、素直に外の世界とそこにいる人に
きちんと触れて、交わって、生きていこう。

     
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# by nn_77 | 2018-06-14 06:01 | 生き方 | Comments(0)

上司ヅラ、ネタバレ

上司ヅラをしてリーダーシップを取ろうとしたり、管理しようとするのを辞めよう。

部下が自分であたって砕けて成長するのが一番いい。先生ヅラしてつきまとわれてエラそうに「ご教授」されてばかりでは、部下も息が詰まるだろう。

そうした形で管理職を演じようとするのは、結局、自分のエゴと自己満足にすぎない。
聞いてきたり、明らかに悩んでいたらアドバイスをしてあげるべきだが、そうでないなら我慢して口出しせず、グッと堪えるべきだ。

そこで口出しするのは、これから観る映画のネタバレするようなもの。

自分が先に観て知ってたら言いたいよね〜。
でもそんな知識ギャップの優越感からくる行為ほど、迷惑なものはないわけで。

自分はその映画を観たなら、まだそれを観てない後輩、部下には是非ご自身で観て堪能頂き、自分自身は卑しいネタバレでヒトの愉しみを奪うことなく、次の映画を観ればいい。



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# by nn_77 | 2018-06-13 08:51 | 生き方 | Comments(0)

生きるということ

ぐるりと回って来た気がする。

この心境になるまで、どれだけ酒をあおってきたことか。

20代の頃から始めた飲酒、自分を慰めたいときや、自分が慰められたいときには、そのために呑んできた。

酒を呑むことの是非ではなく、自分を慰めたいとか、自分が慰められたいとかいう甘えの精神構造が不健康、不健全なのだと思う。それにアルコールが合わさって、よく言えば憂さ晴らしだけれど、実態は逃避だったんだと思う。

逃げられないものからの逃避願望なので、20年経っても進歩がなかった。トホホだ。

そこからどう逃げるかではなく、自分がどこに行きたいのか、しっかりとビジョンとゴールを持って生きていけばよかったのだ。逃げるための歩みも進むための歩みも移動には違いないが、、前にその方向に向かって歩んでいることには変わらないが、逃げているのと、前進しているのでは、そりゃあ、気分は180度違う。

人からの関心に依存して、それに餓えて、それを追いかけても、それは自分をそのまま受け入れてほしいというわがままで自分勝手な承認欲求に過ぎず、その欲求が満たされないことからの逃避に陥るだけだった。

昨日、バーでお店の人とそんな話をしていたら、見知らぬ常連客のSNG人の年配のおじさんに声をかけられて、ヒトから、若者からもっと学べ、と言われた。

謙虚なフリをするのではなく、心から謙虚になって周囲から学べ、と。

誰かに何かを伝えなければ、教えなければ、というのは「君のエゴ」だと。

確かにそうだ。そんなエゴがあるから、こんなに教えているのに、と、思ってしまう。結局自分は、承認という見返りを期待しているのだと思った。

面白くない芸人が観客に笑いを無理強いしたり、自虐ネタで同情をかおうとしているのに似ている。

甘えんな!っていうことかな。
居場所が欲しけりゃ腕を磨け、ということだ。

笑ってほしいのに笑ってくれない、ウケない、とクヨクヨしてその現状を相手(観客)に許してもらおうとするような情けないことはしないで、芸人だったら腕を磨いてネタとプレゼン力で勝負しろ、挑み続けろということなのかな、と最近思えるようになってきた。

それは相手を見下すことでもなく、相手に媚びることでもない。相手を尊敬することだと思う。

相手にへりくだって、丁寧にしすぎるくらいして受け入れてもらおうとするのは、一見、謙虚なようで実は相手を馬鹿にしている。(上辺ではなく実際的ところでの)価値のない自分を相手に押しつけているのだ。

年下に対して丁寧語で話すのも、その態度だけを対価に年下の相手に自分を受け入れさせる為であってはならない。
それをしてしまうと、年下にタメ口で話して年上ポジションを取るのと結局は同じこと。

そうではなく、年下に対しても丁寧語で話すのは、言語/会話で表面的に構成される自分に対する相手からの許容に依存しない(甘えない)で、自立した自分を保ち、相手をリスペクトする為でなければならないんだと思う。

自信を持て、というのは励ましや慰めの言葉ではない。
それは、甘えんな!、自分の足で立ってみせろ、という叱咤。

そうやって自分の足で立てたら、年下に対しても自然に丁寧語で話せるようになる。

抱っこしてもらおうとせず、ママチャリの後ろに幼児のように載せてもらおうとせず、自分の足でしっかりバランスをとって自転車をこがないと。

こう思えるまでにずいぶん年月をかけてしまった。
まだ間に合うかな?

いや、その質問自体がもう甘えだ。

間に合うかな?ではなく、間に合わせるんだ。

自分の責任で。

自分の責任で精神的に自立して進むことを「生きる」というんだろう。

生きよう、生きていこう。
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# by nn_77 | 2018-06-05 08:45 | 生き方 | Comments(0)

戻ってきた

ひさしぶりにパソコンから投稿。

ここ2~3か月、仕事のことや人間関係のことなどでいろいろと悩み、酒量も増えたりしながら、いろいろとクヨクヨ考えていました。
しばらくなりをひそめていた、ブルーに陥りやすい昔からの性格がまた出てきたんですね。

それに気づくのにずいぶん時間がかかりましたが、2ヶ月くらい前にようやく気づいて、図書館でいろいろ心理学や精神分析の本を読んでみたりしてました。思えばこれって、大学時代によくやっていたことなんですよね。あの時もブルーでした。

うわぁ、あの時と同じ状態に陥っているのか~?とちょっと(というか、かなーり)焦りました。20年経って、自分はまったく成長していないじゃないか、とも思ったりして。

特に直近の1か月は相当やばかったです。それは、もう、毎晩独りで飲みに行ったりして。前々から独りで飲みに行くというか立ち寄ることは時々ありましたが、今回のそれはちょっと違いました。いやはや。。。

それが、ここにきて、少し復調してきました。(ホッとしてます)

キッカケは、島田紳助さんの下記の動画を久しぶりに見て、またそれをきっかけに同氏の昔の番組の動画をYou Tubeで見たことです。

https://www.youtube.com/watch?v=kvxx-ipdLyM

日本を離れてSNGにきてはや8年が過ぎ、その間、すっかり日本の民法バラエティ番組は見なくなっていました。

英語が好きだったこともあり、仕事にも没頭し、海外で外国語を使って専門業務に没頭する毎日を送る中で、昔は日本でTVでよく見ていたしゃべくりエネルギーをすっかり忘れてしまっていたなぁとあらためて思いながら、久しぶりに見た紳助さんの話しぶり、さんまさんの話しぶりなどをみて、「ああ、そうそう、これこれ」と、忘れていたものを思い出したように思いました。

ブルーな時の私は、結局は「かまってちゃん」なんですよね。おもえば、子供のころからきっとそうでした。そんな子でした。

落ち込んで、落ち込むそぶりを回りに見せて、同情を得ることで、存在意義に許しを得ようとする。
まさに自分は、基本、そんな人間として生きてきたな、そんな人間だったな、と思います。

落ち込んでいない時でも、自分自身の存在自体に自信がないから、他者に求める承認欲求のそれはそれは激しいこと。
だから優等生を頑張ったり、褒めてもらおうとしたり、誘ってもらおうとして逆にわざと離れたり。。。
周囲のヒトの引力に引かれていないと自立していられないようなメンタリティ。

ああ、面倒くさいやつですね。自分で自分をこうして記述していて思います。
なんて恐ろしいというか周りにとって迷惑な面倒くさい性格をしてるんだろう、と。
甘えですよね、周囲に対しての。

こんなキーワードでネットで検索していると、アダルトチルドレンとか、幸福論とか、ポジティブシンキングとか、Cognitive Behavioral Therapy(CBT)なんていうのに出くわします。

この3か月間、そういうのをぐるぐる見渡しては、「ああ、こうしてこんな情報をさまようって、大学時代もしていたなぁ。なんて自分は進歩がないんだろう、人は変わらないなぁ」なんて思っていました。

そこまで思えるように自分を客観視するところまで自力でこれただけでも、よくやった、とほめてやりたいわけですが、心の悩みが解決しない限りは、なかなかそうは思えません。

そんな私が紳助さんの動画やしゃべくりの動画をみていて、「あ、これかな」と思ったのは、「自分がどう思われたい」という思考ではなく、「相手の心をどう動かしたい」という思考になればいい、ということでした。

「自分がどう思われたい」というのと、「相手の心をどう動かしたい」というのって、考え方を間違えて「相手の心を動かして自分のことをこんな風に思ってほしい」としてしまうと、同じ失敗に陥ってしまいます。

そうではなく、ただ純粋に、相手の心に働きかけて、訴求して、伝えて、どこまで動かせるかを一生懸命、能動的に考えるんです。
そうすると、相手に自分のことをどう思ってほしい、なんていう受け身の発想が相対的に引き潮のように引いていきます。

相手に自分のことをどう思ってほしいというのは、網を張る漁業かもしれません。「同情」とか「承認・賞賛」という種類の魚が沢山かかってくれたらいいなぁ、なんて思いながら、周りから同情を得やすいような撒き餌を巻きながら、網にかかるのをただ待つ。情けないですね。

これに比べて、相手の心を動かそう、感動させよう、楽しませようと、それを追及する思考は、狩り・狩猟っぽいかもしれません。
槍や弓矢で積極的に相手にアプローチしていきます。しとめてやろう。捕ってやろう。逃がさないぞ、と。

会社でも、部下や後輩など周りの人に対して、相手の自主性を尊重するとか言っておきながら、そんな周囲の自分に対する評価をを甘え心で気にしすぎずにいられない、とってもダメな自分であったわけですが、これからは、そうではなくそんな周囲の人たちにどのように働きかけていってやろうか、という攻める(?)思いで、前向きかつポジティブに戦略的にコミュニケーションとっていこうかな、と思うようになれました。

自分がどう思われるか?って、結局、相手の目線で自分を見ようとして、かつそんな相手の視線がこうだったらいいなという妄想・願望に強く依拠する思考なんですよね。恋なんかをしたときって、一歩間違うとすぐにこんな思考になりますね。相手のことを好きというよりも、相手にも自分を好きになってほしい気持ちで苦しむ、あの感じに近いかな、と。

でも、そんな相手の目線に期待している妄想・願望の作り手は自分の脳なので、永遠にこの欲求は満たせないんですよね。SFのように相手の心に入り込めない限りは。相手の目に映る自分がこうあってほしいというその目線は既に自分の目線なので、自分自身で自分を認められない自分が相手に依拠するための承認欲求を満たす手段として、実は何処かに矛盾がある考え方なんだと思います。だから苦しい。

人の心に働きかけて、感動させよう、笑わせよう、楽しませよう、という道化は相手の心を動かすことそのこと自体を目的としているので、その結果、自分がどう思われるかは、気にしてないことはないとはいえ、二の次です。
nnさんすごいですね、好きですよ、と思われるのが一番の目的ではなく、何かの話やメッセージ、アイデアを伝えて、その内容が相手の心のツボを押すことが一番の目的。マッサージ師に近いでしょうか。そりゃあ、先生、いい腕してますね、好きですよ、といわれたくなくはないでしょうが、それ以前にまず、うまくツボを押してお客様を気持ちよくしてあげたい、と思うんだと思います。(結果的に好かれればさらに良し、程度)

なんだか、霧が晴れたような気がして、ふとこのブログのことを思い出し、今、こうして思いついていることを記録しようと思いました。
いろんな意味で、「ああ、戻ってきた」のかも、と思い、こうして筆を執りました。

朝の5時から書き始めて今は6時。ちょっと昔のCPA受験勉強していたころの早朝ブログを思い出しました。

ちょうど飲み会の予定もひと段落したので、上記のアプローチをうまく活用していけるようであれば、今度こそ、お酒も含めて生活習慣も見直していきたいな、と思います。

それでは、また。

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# by nn_77 | 2018-05-29 06:59 | 生き方 | Comments(0)

Chinese New Year

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会社からの帰宅途中、China Townを通ると、旧正月のイルミネーションが沢山できていて、通りも夜店がいっぱい出ていて賑わっていました。

日本の大晦日の市場のような活気です。
シンガポールの多くの中華系の方々にとっては、Luna New Yearとも呼ばれるこの2月の旧正月のほうが、いわゆる「お正月」行事のようです。

今日も仕事でいろいろあって疲労の溜まる一日でしたが、異文化の灯火に照らされて、少し癒やされました。
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# by nn_77 | 2018-02-07 23:30 | Comments(0)

(久しぶりの)早起き

昨日は23時に退社して、0時帰宅。

為替のトレンドみたいに期間別でみると、
過去3週間平均だと遅い方。
過去1年間平均だと早い方。

いずれにしても、ちょっと呑んで帰りたい気持ちをぐっと押さえて、直帰。

腕立て伏せと腹筋を(久しぶりに)20回ずつして、夕食をとって、就寝。

そして、今朝、(これまた久しぶりに)午前4時に自然と起床できた。

ジムに行って運動を、と思ったけれど、この感じをこうしてブログに残そうと思い、PCにアクセス。

久しぶりにPCからエキサイトブログを見ると、いろいろとレベルアップしていて、時代の流れを感じた。

スキン編集で遊んでいたら、あっという間に1時間が過ぎて、ジムに行く時間はなくなってしまった。

CSSとか、もう忘れてしまったな~、と思いながら過去の自作スキンをみながら少しだけ思い出して、ちょっとだけ編集。

さて、こうした動きが生活習慣改善のキッカケになったりするだろうか?

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# by nn_77 | 2016-12-13 06:30 | Comments(0)
2006年に合格して10年が経過したUSCPA(デラウェア州)の資格、
まだ生きているのかどうか気になって、調べてみました。

Googleで「Delaware」や「CPA」で」検索すると
下記のデラウェア州のウェブページにたどり着きました。

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上記でVerify License Onlineというハイパーリンクをクリックすると
Search for a license という画面が開きます。

その画面で下記の通りいくつかのフィールドを埋めて検索すると・・・
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検索結果が表示されます。
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まだ記録が残っていました。
License StatusもActiveになっています。さすがDelaware州

当時勉強した個々の公式や会計・監査ルールは償却期間が経過して
しまいましたが(あれ、Activeなのか?)、

今でも会社でいろいろな事案やプロジェクトに携わる中で、
「あれ、そういえばあの時勉強したよな・・・」
と当時のテキストを引っ張り出してきては、通勤中のバスの中で
読み返したりすることがあります。

しかし、最近は早起き勉強などが全くできていません。
何とかあのころの勉強習慣を取り戻したいなぁ。


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# by nn_77 | 2016-11-30 07:38 | USCPA (general) | Comments(0)
# by nn_77 | 2016-10-10 22:52 | Comments(0)

再開

このブログを始めてからもう10年以上になるが、これを始めるきっかけとなった尊敬する方との1年ぶりの再開を果たすことができた。

お互いの地理的な距離がこれまで国内でも海外でも遠くてなかなか会えなかったのだが、ここしばらくはそんな二人の地球上での座標軸がとても近くなり、昨年は10年越しの初対面を果たし、先日は再開を果たした。

ステップアップを続ける彼とはまたしばらく離れ離れになりそうだが、これからも彼を意識して自分を磨き、いつかまた、再開したときに、お互いの立ち位置を見ては、鼓舞しあいたいと思う。



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# by nn_77 | 2016-08-18 22:41 | Comments(0)

収支ズレ

早速、激しい収支ズレ。

未来を強く意識して今を生きなければ
こうなってしまう。
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# by nn_77 | 2016-07-08 07:49 | Comments(0)
仕事上のことやなんやかんやで、公私共に不安定な日が続いた第1四半期(Q1)が終わった。

生活習慣もお財布もコントロールをする余裕がなく、自分を大事に出来なかったQ1だった。

第2四半期(Q2)は節制、摂生を心がけよう。

(心の収支)
虚栄心を捨て、、感謝の気持ちを取り戻し、自分の価値観に自分で責任を持つ

(体の収支)
飲食、酒量、運動量を意識して管理し、生活習慣をズルズル流さない。

(時間の収支)
ワークライフバランスを意識して、メリハリのある仕事の仕方をして、業後も会社の人との付き合い以外に充てる。

(財布の収支)
切り詰めることで、残業の深夜タクシー代、飲み会代、憂さ晴らし費用の財源が無くなれば、心や体や時間の収支ズレを起こしにくくなる。


毎日、意識して管理していこう。



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# by nn_77 | 2016-07-01 23:31 | Comments(0)

感謝の気持ち

人から感謝されようと努力して心が疲れてきた。
ひょっとして、そこには感謝されたい自分がいて、そんな虚栄心が嫌になったのかもしれない。

人に感謝することをもっとしてみよう。
素直に人に感謝して所作できることで、自己嫌悪を下げられるかも。。
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# by nn_77 | 2016-06-17 09:32 | Comments(0)

オフィス帰り

昨日は午前1時まで残業 (・.・;)
(正確には今朝までと言うべき?)

今日も仕事でいろいろとバタバタしたけど
体が音を上げたので20時頃に退社。

明後日の訪問先のオフイスの場所の確認、下見がてら
久々に夜のシンガポールのオフィス街を歩いてみました。


途中で見かけたマリーナ・ベイ・サンズ。
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相変わらず船がビルの上に乗っかってました。


いやー、久しぶりに往来に人がまだいる時間にオフィスを出て、なんだか新鮮な気分です。 そういえば、海外に住んでたんだなぁと、実感。


夜景が綺麗です。
遠くに見えるのがオフィス街のRaffles Quey(ラッフルズ キー)です。
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まだ見えるマリーナ・ベイ・サンズからビームが出てます。
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マーライオンも元気。
しばらく見ない間に大きくなった、
んなわけ無いか。
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夜景を肴に、、、、
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Boat Quey (ボートキー)の居酒屋で
ビール片手に焼き鳥で寄り道。

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気がつくとまたこの辺りも
日本食が増えていました。

先日の投稿では自分の器の小ささを自覚して
しょんぼりしていました (._.)

今も、反省の気持ちは胸の片隅でくすぶってます。

でも、今日、ふらっと、こうして独りで出歩き、
少し落ち着いた気もします。

シンガポールの夜景を相手に、
もう少し内省しながら川辺で心を落ち着けながら

ビール🍺と焼き鳥を片付けてま帰ろうと思います。

nn
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# by nn_77 | 2016-06-08 21:52 | Comments(0)

Vanity

今日は(も)、後から振り返って、自分の中で
「あぁ、失敗した」と思う言動が自分にあった。

反省。

正義感で動いたつもりだったけれど、今思うと、
「自分が言わねば」の裏には虚栄心があったと思う。

もっと自分の露出を下げて、自分でせずに、間接的な
影響でことが進むように、そんな動きを心がけよう。

自分が生きるために言動するのではなく、
周りの人たちが活きる場にできるような、そんな自分の
立ち位置を落ち着いて探すようにしよう。

自分に難しい立ち位置ににチャレンジしよう。

自分にできる立ち位置を務めてドヤ顔するなんて
いい年したオヤジのすることではない。

自分が学んで成長する気持ちを謙虚に真剣に持たないと
結局、身を滅ぼすんだと思う。

反省。


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# by nn_77 | 2016-06-06 22:01 | Comments(0)

Rest

After all, I have been terribly busy in the last three business days, leaving the office after midnight everyday, taking supper at home at around 3:00 a.m. , having three or four hours sleep, and coming back to the office again to start working before.8:00a.m.

Now it's Saturday.
I'm now having one hour foot massage therapy, while waiting for my daughter to finish her painting class in a neighbor area.

I am afraid that I have to go to office tomorrow on Sunday. Please allow me to have a small rest for now.

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# by nn_77 | 2016-02-13 11:31 | Comments(0)

An early bird after a while

It's been a four day consecutive holidays in Singapore.
Being so susceptible to the stress from the work, I was already starting to feel tensed from the night of the last day.
That eventually made me an early bird this morning, getting me to come out of the bed at 3:00 am.

Surfing on the internet in a silent room in the early morning, I came across with the site below.

http://www.ted.com/talks/george_takei_why_i_love_a_country_that_once_betrayed_me/transcript?language=en

First I was attracted to the site as I found this TED’s website gives movies of the speech with the transcripts of those speeches, a useful tool to English learners.

But, keeping listening to his speech, which began with his tough time in the prison camp in America as a Japanese American of those days, I realized that the difficulty that I feel I have is not such a “real” difficulty of life, compared to those that people could face in their lives.
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# by nn_77 | 2016-02-10 05:56 | Comments(0)

発送の転換

眠い~。

ふと思った発想の転換。

仕事のストレスを
仕事に打ち込むことで発散してみよう 。

追い込んでくる様々のことから逃げずに
立ち向かっていくことで
プレッシャーをはねのけてみよう!
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# by nn_77 | 2016-02-06 15:05 | Comments(0)

旧正月

シンガポールは今日から4連休です。Chinese New Year.

昼は家族サービス、夜は家族が寝たら出社し朝まで仕事するというのを繰り返す4日間になりそうです。
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# by nn_77 | 2016-02-06 12:39 | Comments(0)

続投

今日は会社を出たのが午前三時。

帰宅して今から晩(?)ごはんを食べて、
3時間寝て、朝7時前に出社する。

当たり前のように続けているけど、
どこかで歯車を切り替えたい。

金曜日の飲み会かな。
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# by nn_77 | 2016-02-03 04:04 | Comments(0)

誓ったその日から

たまには家族の顔を見るために早く帰ろうと思ったのに、早速オフィスを出るのが朝の1時になってしまった。 無念。
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# by nn_77 | 2016-02-02 01:52 | Comments(0)