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by nn_77
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私が教師になれなかった理由

 不覚にもTVを見てしまった。「女王の教室」という以前していたドラマの番外編である。天海祐希が鬼教師・阿久津真矢を演じ話題を呼んだドラマだ。非常に良く出来たドラマだと思い、いろいろと改めて考えさせられた。自分の生き方についてである。
 
 数年前、大学生の頃は、教職を希望していた頃もあった。実際に塾では3年間英語を教え、母校の教育実習にも参加し、教員免状も取得した。しかし、ギリギリのところで「自分は教師に向いていないのでは」という思いが生じ、教員の道を断念し、会社員になった。
 
 誰かに「教える」ということが、小さい頃から好きだったように思う。英語を好きになったのも、それがコミュニケーションの手段であったからかもしれない。人前に立って話をしたりするのも好きだ。子供も大好きだ。
 
 でも、塾講師のアルバイトを始めて3年ほどたったころ、気がついた。自分が、いかに相手に受け入れられるために必死になっているかということに。私が「プレゼン」や「授業」が好きだったのは、それを受けた相手から「ありがとう」と感謝されいからなのではないか?と思うようになった。今思えば、はっきりいって、子供達を「叱る」ことも、子供達に「怒る」こともできない、穏やかというか、腰抜けの「先生」だった。
 
 ドラマ「女王の教室」の中で天海祐希演じる教師は、子供の成長を真に願うからこそ、現実から子供達も自分自身も逃げないよう、真剣に立ち向かう。いわゆる鬼教師を「演じる」先生の役だ。脇役の女優が、子供達と仲良く「友達のような先生」になろうとして、結局子供達から信頼されない教師を演じていた。きっと、当時、私が教師になったら、この脇役先生のようになっていただろう。子供の顔色をうかがうような先生に。。。

 今日のドラマの中で、最後に事情を理解した校長が天海の演じる阿久津真矢先生に、こう問いかける。

「先生、なぜ、そこまで一生懸命するんですか?そんなに努力したって、誰も先生の気持ちなんか理解してくれないかもしれないじゃないですか?」

阿久津は答える。「構いません。それが教師の仕事ですから。」

 教師の仕事は、子供達がしっかりと成長して将来自分達の力で生きていけるよう、助けてやることである。その為には、子供達自身に厳しく接する必要がある場面も多々出てくる。しかし、それこそが教師の仕事であり、そこから逃げる(=事なかれ主義であったり、偽善的平和主義者であったり、黒板の前で予備校教師のごとく名授業に没頭する)のは、職務怠慢以外のなにものでもない。

 しんどい仕事である。並の人間にはできない。だからこそ「聖職」といわれるのだ。私は、教職というものは、医者の仕事と同じくらい、尊く、厳しいものだと思う。専門的であるというばかりではなく、逃げたり、誤ったりすると、人一人の人生を大きく毀損してしまうのである。「夜回り先生」で知られる水谷修氏をご存知だろうか?彼の活動を「そこまでせんでも」と思う人も居るかもしれないし、普通の先生はそこまでできない、という人も多いと思う。現実はそうかもしれないが、しかし、本当は、「普通の先生」があれくらはしなければいけないはずだと思う。誤解されるといけないのであえていうが、私は、教師の職についている方々を本当に尊敬するし、本当に、教師はしんどい、辛い仕事であると思う。並の人間にはできない。だからこそ「聖職」といわれるのだと、重ねて強調したい。

 当時、私が結局教職の道に進まなかったのは、まぎれもなく「逃げ」であるが、正しい選択だったと思う。当時の私には出来なかったし、今の私も、まだまだ未熟といって余りある程だ。

 ただ、社会人になっても、結局、私は、私に教師の道を諦めさせた自分の弱さからは結局逃げられなかった。

・ 商品を提案する際に、支店の目標よりもお客様のライフプランを真っ先に考え、お客様の思いに真剣に向き合ってこれただろうか?
・ライフプランナーを気取ってお客様に「ありがとう」と言われて数字をあげることに快感を覚えなかったか?
・企業へのご融資の案件についても、社長さん達に感謝されるような自分でいたいとか、ノルマのことで頭がいっぱいになった状態で融資の稟議を書いたことは無かったか?
・本当に、企業の経営を真剣に考えて、その企業が「育つ」ためには何が必要かを一生懸命考えただろうか?

 結局、人のため、会社のためと言いながら、実際は、人から感謝されたり、認められりしたい自分の想いを充たす為にしか動いてこなかったのではないだろうか?

 人に好かれたい自分、との訣別、これが自分にとって、今、一番大切なことかもしれない。人から褒められて初めて自分を認めるのではなく、人の評価に頼らず、自分で自分自身と自分の行いが認められる人間に、私はならなくてはならない。

 いきなり、他人のことからはじめるのも無理かもしれない。まずは、自分自身のことからだ。そしてそれは、USCPA試験。 資格取得自体が目標ではない。この試験に受かるくらいの知識が自分の今後のキャリアには最低限必要だと考えるし、この試験に受かるくらいの集中力と行動力を養うことが、今の自分には必要だからだ。だから、自分の甘さを戒め、そして、勉強に励む。そして、いつしか、本当に自分自身に対して「真剣に」厳しくなることができたとき、今度は、その「真剣さ」をもって周囲に臨もう。周りの人に好かれるために、評価されるために動くのではなく、心から、真剣に相手の為を考えて、その相手のために、必要であれば厳しくなることも平然と出来る、そんな自分に、いつしかなれることを願って。。。
by nn_77 | 2006-03-19 00:15 | 仕事