幼稚さを捨てて、親心をもって

つまるところ、自分は幼稚だったのかもしれない。

人を護りたいと本当に思えるのが大人の親心。
子供を護っていて、子供から好かれたい、歓心を得たいとはあまり思わない。子供のためだけを純粋に考えて教育しているから。

親から好かれたい、褒めてもらいたいと思うのが護られている子供のキモチ。それはそれで自然なココロ。

ただし子供の幼稚な気持ちをぶつける対象にしていいヒトは、親をはじめとする限られた人だけだ。なぜなら、子供のそうした気持ちは、社会の中では、やや、我儘だから。
家族など、そのヒトを受け入れてあげられる身近な存在でないと、なかなか受け入れられない。赤ちゃんや老人のオムツを替えるのと同じかな。自分の子供、自分の親だからできる。

翻って、会社で(心の奥底で)自己承認欲求を周りにぶつけている自分は、幼稚なんだと思う。本当に部下や後輩を親心で愛していれば、きっと、そうはならない。
自分が好かれたい、愛されたいと思ってしまうから、辛くなる。

実際に好かれているかどうかとは、別次元の話だ。
たまたま好かれている場合もあると思うし、上司としてはそうあったほうがいい面もある。
しかし、それを自分から本気で求めてはいけない。

強くなれ、自分。

過去に君が敬愛し、尊敬した先輩たちは、君に好かれたいとは思わなかった、と思うだろう?

上司として、先輩として業務する上で、着飾る必要はなく、無理に良いカッコするな、という話もあるが、それは服を着ずに裸で凍えていればいいということではない。誰かに毛布をかけてもらう同情を求める弱い人間でいいということではない。

質素でも(=完璧でなかったり、カッコよくなくても)、服を着て、通りを歩くんだ。

愛されたいと思うな。
愛そうとしろ。

死ぬまでに、できるだけ多くのヒトを愛して、生かそう/生かそう。親が子を護るように。見返りを求めず。

自分は子供(上司、部下、後輩)を護れる強い親でいられるように、謙虚に学び続け、丁寧に生きていこう。

それくらいなら、意識すれば、きっと、できる。








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by nn_77 | 2018-06-25 00:38 | Comments(0)