上から目線、が正解なのかも

ヒトからの承認欲求に依存しがちな僕だけれど、よく考えると、誰に対してもそれを求めているのではないようだ。

自分が認める人や尊敬する人、好きな人に対してのみそれを求めているようだ。(みんなそうなのかな)

自分と価値観やベクトルが同じ人、あるいは自分はまだたどり着けていないけれど、いつかはそうなりたい、と理想に思えるような人に対しては、自分を認めてほしい、自分に好意を持ってほしいという欲求が強いように思う。

だから、そんな人から怒られても傷つくし、スルーされても傷つくんだと思う。他方で、自分がそう思ってない人から怒られても、スルーされても全く気にならない。

ということは、自分が認める人や尊敬する人、好きな人に対して、自分を受け入れてほしいという思いが強すぎるのかもしれない。
自分が好きな人であっても、その他者を独立した他者として認めて、自分の価値観の呪縛に従属させようとしないことが必要なのかも。

あと、そんな人から怒られたり、スルーされたりすることが続いたとき、そんな人に対して固執しすぎず、それが本当に自分の認める・尊敬する好きな人なのかどうかを疑ってみてもいいと思う。そんなすれ違いが起きることが続くのであれば、冷静に見れば、その人は自分の価値観に照らしてみたときに、自分が本当に好きな人なのではないかもしれない。にもかかわらず、盲目的にその人を尊敬する・好きな人だと思い込んでいるから、怒られる、あるいはスルーされるような状況に陥った際に、辛く感じるのかも。

ここでもずっと書いてきた自己肯定感が低いこととも関係はしていると思う。
自信があまりにないので、自分の尊敬する人・好きな人からの自分に対する評価を鏡として使わないと自分の姿が見えない為、そんな魔法の鏡から怒られたり、スルーされたりすると傷つくんだろう。

僕の場合は、自分の尊敬する人・好きな人に対して、少なくとも心の中では、もっと上から目線で見ていいんだと思う。
それくらい自信を持て、ということ。そうじゃないと、自分の尊敬する人・好きな人に対して承認欲求を押しつけてしまい、それが得られず勝手に傷つき、人間関係を破たんさせてしまう。逆説的ではあるが、自分の尊敬する人・好きな人に対して、下から見上げ追い求めるのではなく、上から見下ろして評価しようとするくらいで、僕の場合はちょうどいいんじゃないかと。そうすることで、自分の承認欲求を一方的に押し付けることなく、自分の尊敬する人・好きな人に対して、心理的に対等に対峙できると思う。

自分の尊敬する人・好きな人を上から目線で見るというのには、もう一つの目的もある。
僕の場合は前述の通りなので、いったんその人を尊敬し・好きになると、その人から盲目的に承認を得ようと固執してしまうわけだけれど、それが得られない場合、そもそもその人を尊敬し・好きになったこと自体、判断ミスだった可能性もある(だから実は合わないので承認欲求が満たされない)。
にもかかわらず、すでに盲目的にその人を尊敬し・好きになってしまったことで、自己肯定感が低い僕はもはや引き返せず、ひたすらその合わない人から認めてもらおうと努力をして、当然に報われない結果に終わってしまっていることもあるんだと思う。

人の心の中は永遠にわからないし、人も変わる。
自分の価値観や理想を投影して、尊敬し・好きになれる人って、本当はほとんどありえないんだと思う。

だからそれが家族でも、会社の上のヒトや下のヒトでも、僕の場合は常に上から見て(それでようやく自分の心を相手と対等に引き上げられる)、相手の心を冷静に見つめる努力をしないといけないんだと思う。それは自分を認めてもらうためではない。残念ながら多くの場合、相手は自分が依存したいほど尊敬し・好きになれる人ではないはず、どこか違うはずなので、そこを冷静に見つけて、ほらやっぱり、と思えたらしめたもの。そうすることで、相手に対する承認欲求に依存せず、結果、相手を自分の価値観の呪縛に従属させようとする欲もでず、そのことにより、相手を(尊敬ではなく)尊重し、お互いに人として独立・自立した関係である前提で、人間関係を構築していけるんだと思う。

さらに言えば、そうやって上から目線で人をみた上で、相手の人間性を認めた上で、その人を好きになれるように工夫する努力をすると、人間関係を面白くできるんだと思う。下から見上げる目線で尊敬し・好きになってしまって精神的に依存してしまうと、実はその人を尊重して好きになっているのではなく、その「好き」は、むしろ「自分のことを同じくらい好きになって」というのが本音であり、相手の人間性を実は無視している。

僕の場合は、尊敬している人・好きな人を上から目線で見直して、おそらく自分が尊敬・好意で没頭・固執してしまうほど好きな人では本当はなかったんだということに自分を気づかせて、その結果、そんな人に対する承認欲求への固執から自分を解放し、そうやって相手を自己承認の道具ではなく、尊重すべき他人・ヒトとして認めた上で、その人の個性・考え・価値観を観察し、どうやったら喜ばせてあげられるんだろう、と考えればいいんだと思う。その段階での「喜ばせてあげたい」という心理の中には、もう、「自分のことを同じくらい好きになって」という打算や下心はない。だってその人はもう、自分が「好き」な人ではないので。単純に、他人・ヒトとしてそこにいて、その人にはその人の価値観や好き嫌いがあり、そんな人と同じコミュニティーにいる自分として、どうせなら幸せにしてあげられれば、と純粋に思って、無理のない範囲で努力すればいいんだと思う。

このやり方だと、自己肯定感の無さと理不尽な承認欲求とその未充足から自分を変に傷つることもなく、また、それにより相手に負担もかけず、お互いフェアにやっていけると思う。

うん、なんだかこれでいけそうな気がする。

でも、会社に行くと、また、いろいろあって、あぁぁ、と思ったりして戻ることが多いので、まだ安心はできない。

会社で検証してみるまでは。。。

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by nn_77 | 2018-06-20 06:17 | Comments(0)