Unplugged
2018年 06月 14日
上司面を止めよう、という昨日の投稿も、結局は部下がどう思うかを考えているようで、結局は、部下にどう思われたいか、という発想なんだと思う。
まだまだ自分勝手だ。
自分を苦しめているのは自分の身勝手な不安解消欲求だと、よく理解しているのに、出口戦略が見つけられていない。
引き続きいろいろ試して試行錯誤していこう。
以下は、その案。
1. 相手に声をかけられるのを待つのではなく、相手の反応を恐れず声をかけよう。
声をかけてつれなくされるのは傷つくもの。だからといって声がかかるのを待っていては、受け身すぎて、それはそれで不安が募るばかり。
タイミング悪くて素っ気なくされるのは日々のコミュニケーションや人間関係で当たり前のこと、と思おう。
2. 相手を好きになって、見返りを求めずに接しよう
相手に好かれたければ、嫌われるのを恐れずに自分から相手を好きになろう。
Give and take、まずは自分がリスクをとって相手を好きにならないと。
Give and takeだったら見返り求めてそうだけど(笑)
3. 自分の自己評価を相手に押し付けるのをやめて、相手の自分に対する評価を受け入れよう
ここは重要。
嫌われたくない、相手の評価に依存するマインドは相手に肯定されたいなにがしかの自己像が前提になってると思う。
その自己像自体が妄想と知るべし。
自分の声の録音を聴いたら恥ずかしいのと同じ。自分って、それほど、自分で思っているようなカッコイイ奴じゃないわけだ。
だったらまずは自分がどんな人間なのかを周囲から教えてもらって知らないといけない。それが見つめるべき自己像なのだから。
人に自分のことを教えてもらうって、人からの自分に対する評価に依存するのと同じ、って思いがちだけど実は大きく違うと思う。
前述の通り、人からの評価に依存して傷ついて孤独になっている場合、実は人に聴く以前に自分の中に理想の自分像がすでにある。それと実際の周囲の反応とのギャップを恐れたり、それに苦しんだり、を、勝手にしているのだ。恐ろしい妄想の虜だ。薬物中毒と同じかも。合法な、酒、というクスリで妄想による不安から逃避しようとしていないか? 逃避が良くないのに、さらに逃げる対象が妄想となったらもう、救いようがない(笑)
妄想から脱却するためにも、勇気を持って人に当たり、たとえ傷ついても、真実に触れて行かないと。
白雪姫の悪い女王の鏡のように、自分を美しいと歪曲して伝える鏡の虜になっていてはいけないんだ。
人と心から接して、勝手な自己像を押し付けずに、謙虚に人から自分を教えてもらうところからはじめたらいい。思い通りの反応が無くて辛くても、そこから謙虚に学ぶんだ。傷ついてナンボ、と思おう。
4. 人に教えを押し売りせず、人から学ぼう
多分僕は、前述のビヘイビアがあるがゆえに、教えキャラで生きてきたんだと思う。人に知識を伝えると、評価してもらえるかな、尊敬してもらえるかな、 受け入れてもらえるかな、好かれるかな、って。
でも、それもきっと妄想だったんだと思う。
知識の押し売りほどウザいものはない。
自分も他人のそれを見て嫌ほどそう感じてきたはずなのに、自分のことは見えてなかったんだ。
恥ずかしい。
人に教えるのをやめてみよう。
ゴルフのスイング矯正のように最初は極端でもいいくらいだと思うので、聞かれても、知らないごめんというようにするくらいで丁度いいかも。今の自分は何でも答えようと必死になり過ぎだ。答えられなくて、ヒトが去っていくのが怖いんだね。寂しいんだね。
でもまずは、答えられない自分を受け入れよう。それで本当に相手が去るのかどうかも妄想ではなく現実に確認しよう。去ることも多々あるだろうし傷つくだろう。
でも、そうやって、どうせ傷つくなら、妄想ではなく事実に基づいて傷つこう。普通の鏡を見ないと。
上記4点を振り返ると、新入社員に戻ろうということだと思う。
もともと僕は小さな子供の頃から前述のような人間だったのが、社会人になってもそれが変わらず、また、なまじ、ある種のキャリアを積んだので、それを教える、押し売りする材料に使いながら、麻薬のように自分の自己像の妄想を心の中に造って来たんだろうなぁ。
映画のマトリックスの首の後ろのプラグが、今、抜けたのかもしれない(笑)
怖いけど、今日から、素直に外の世界とそこにいる人に
きちんと触れて、交わって、生きていこう。