信頼
2008年 04月 20日
裏切られることを恐れて、最初っから相手に心を開かなかったりすることもありませんか?
裏切られる、というのは、「信頼してたのに」とか「あの人なら分かってくれると信じてたのに」みたいな気持ちからくるものだとおもいますが、そこにはいつも自分自身の「甘え」があることに気づきます。
人を本当に信じるということは、その事柄(お願い事とか、相談事とか、秘密保持とか)に対して、相手に「大きく」依存することです。つまり甘えることです。
そうやって甘えるのは、相手に対して非常に負担が大きく、本当は親子の間でも難しいことです。まして、他人であれば、なおさら難しい。
そんな難しい「甘える」という行為を「信頼」という言葉に置き換えて、「信じていたのに」というと、なんだか相手の方が悪いような表現になり、相手にそれだけ依存した自分の「甘え」は言葉に出てきません。
私が言っていることは、「人を信じるな、疑え」ということなのか?と問われると、そうかもしれません。
しかし、それは相手の悪意を想定しろ、というのではありません。疑心暗鬼になれというわけではありません。
人はみんな社会の中でお互いが役割を果たして支えあいながら生きていると思います。独りでは生きていけません。
だから日常の中で人を「信じる、頼る」こと無しに私たちの生活や仕事は成り立たないでしょう。
だから、せめて、このことを胸に留めておきたいと思います。
「信頼」とは「甘え」と表裏一体の行為であり、単に「信頼」するというのは(親子間くらいであれば辛うじて成立しうるかもしれないくらいの)無責任な行為であって、したがって誰かを信頼するときは、相手が信頼に応えやすいような状況をセットで提示してあげるくらいの心配りが無いと毛頭成立しないのだということを。
上記は、相手を信頼する側の立場の考え方です。
相手から信頼を受ける場合については、相手が「甘えたい」状況を理解して、できるだけ相手を甘えさせてあげられるように、努めたいですね。
それが「信頼を得る」ということにつながり、その誠意が伝われば、今度は、自分が相手を「信頼したい」ときに救われるような気がします。