失敗、反省、失意
2016年 01月 26日
少し考えればわかることだったろうに、情けない。
また、その後の対応もまずかった。情けない。
自分がただ悪いだけなのに、そのくせ、自分で自分を責めて、自己を責めることで赦されようとする、その自分の精神構造が大昔と何ら変わっていないところが、また、情けない。
愚かな自分。
その情けなさ、愚かさを受け入れた上で、それに伴う結果を責任をもって受け止めるのが、今の自分にできることだろう。
自分自身へのメッセージがあるとすれば、許されたい、と思わないこと。自身に対する求償は要注意だ。
ええカッコしない。
外に対しても、自分自身に対しても。
偽らない。
ヤルことはひとつ。
関わる人(社外も社内も)の幸せに貢献すること。
自分の見栄や何かに惑わされないように。
自分は泥をすすればいい。その程度の器だ、私は。
いっぱい怒られて、反省して、何度も己を律し直す必要がある。
でも、自分が、今、携わるこの業務、ここに携わるお客様やこれに携わる社内の人の幸せに、少しでも貢献できるように、私は決してへこたれずに、めげずに、他者及び自分自身からの評価に媚びたりそれを恐れたりせずに、使命感を持って、かつ、立場をわきまえながら、自分自身から逃げずにミッションに立ち向かわないといけない。
己よ。
もし君が(私が)その失敗を贖いたいなら、失敗を認め、己の愚かさを受け入れて、(周りに許されるためではなく、自己の再発防止の為に)心から反省して、やり直すべきだ。
繰り返す。許しを求めるな。
仕事の失敗は仕事のリカバリで返す。
それが「ケツを拭く」ということだと思う。
許されたければ、いつか、転勤でもするときに、「実はあの時」と告白しよう。今、許されたいと思うのは己の甘えの裏返しであり、プロとしては失格だ。今求めるべきは失敗に付随する自分自身というモノへの受容ではなく、仕事のリカバリだ。
責任感が1ミリでもあるなら、それがやることだ。「赦し」は二の次だ。
僕は日本でボーイスカウトだった。
子供の頃、家計が貧しかった僕が、ダダこねて入れてもらった団体だ。
入隊時に誓いを宣誓する。
キレイゴトのようで、実はビジネスのイロハだと、今では思う。
やり直そう。
それがどんなにバックティーでも。
責任感を持って、お客様も会社の皆さんも、ひとりひとりの顔をちゃんと思い浮かべて仕事しよう。
それが、それこそが、
「責任」。